[p.0018][p.0019]
類聚名物考
姓氏九
姓氏 うぢかばね
この姓お訓て訶波禰(かばね)といふは、骨族の如し骨お可波禰といふ事、顕宗紀にも、又続紀にも、根可婆禰の事有、されば姓氏録の序にいへる、人民の氏骨の義に、たどへたり、これに又対ていふと単へにいふとのわかち有、かね通じていへば、姓すなはち氏お尊たら、又姓某氏言ぎいふが如き、源平藤橘お四姓といふが如きこれなり、又柝ていふときは、源平藤橘の類ひは氏にて、朝臣宿禰の類は姓なり、さればこの四姓だいふは後世の俗に出たるものなら、よで忍海記には、朝臣宿禰臣連お四姓なりといへるは、その聞伝へし所古意に出たり、後人これらお思ひわかず、姓氏のまぎれやすきにしかねて、尸字お用いて、姓氏にわかちてんとするは謬なり、〈○中略〉
按に姓氏二つにして一つ、また一つにして二つなり、ただへば姓字はかばねだもうぢども訓べけれざも、氏字はうぢことのみ訓て、かばねと訓事あたはずかばねだ雲字さだかならず、尸と書も借字、骨名と書も、みな借仮の字に似たり、されば姓氏録〈中の巻七十一左〉土師宿禰の条下に、光仁天皇天応元年、改土師賜菅原氏有勅改賜大江朝臣姓と雲にてもしられたり、姓はかばねといふに相通はし用いたり、天武天皇紀に、十三年十月己卯朔に、詔して八色の姓お定めらる、朝臣真人以下の八品なり、同日に守山公以下十三氏に姓お真人と賜ふと有によれば、真人等はかばねにて、即ち姓なり、然るに万多親王の姓氏録の表に、一千一百八十氏お集むるよし有ば、うぢかばね、姓氏の字お共に相通はし用いたりとも雲べし、姓字もうぢどよみ、氏字も尸とかよはしてかばねなれども、別ていへば姓はかばねにて朝臣真人の類ひ、氏は源平藤橘の類なり、或人雲、後にも源朝臣の姓お賜、橘朝臣の姓お賜ふといへども源橘の氏ばかりお賜ふとはなし、〈○中略〉すべて源氏といふはよろし、源姓だはいふべからす、源朝臣姓とは雲べし、又源家平家と雲は猶あたらず、