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姓序考
真人
真人姓は、天武朝廷十三年冬十月己卯朔の詔に、八色姓お改作れしとき、一日真人とみえしにて、ことにちかき皇族なりし也、此時賜へりしは、守山真人、路真人、高橋真人、三国真人、当麻真人、茨城真人、丹比真人、猪名真人、坂田真人、羽田真人、息長真人、酒人真人、山道真人の十三氏也、この姓はこのときに始りしものにて、自是以前は、みな君といへりし姓なりき、十三氏のうちにて、古事記にみえしはみな君といへり、書紀にみえしもみな公とかけり、〈君姓お公字にかへらるヽことは、天平宝字三年の詔によりてなり、〉真人は麻比登(まひと)と訓べし、天皇お現神といへるに対て、真人といへるにて、漢土の真人のことにな思ひまがへそ、これより後真人姓お給へる氏々、いと多けくなりゆきて、姓氏録にみえしものは四十八氏也、国史にみえて、姓氏録にもれしものおかぞへなば六十氏にもあまりぬべし、当時に遠き皇族なる君姓の氏々は、天武朝廷十三年十一月戊申朔に、朝臣姓お給へる五十二氏の中に十一氏みえたり、これよらも遠き皇族は、なほ公姓にて置れたるにや、姓氏録の皇別に、公姓の氏人三十六氏みえたり、この余未定雑姓条に、公姓の氏人三氏ばかりもあり、おなじ皇族ながら、当時にとほきちかきのけぢめより、このたがひめありしならん、こたびも旧例のまヽに、真人姓おしも第一とは定めし也、