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古事記伝
三十七
宇知能阿曾は、内之阿曾なり、〈○中略〉阿曾は阿曾美の省、阿曾美は吾兄臣(あせおみ)の切(つゞ)まりたるにて、親み崇めて雲称なり、天武天皇の御代より朝臣と書て、姓の尸と定め賜へり、〈続紀卅二に、阿曾美為朝臣雲々、書紀釈に、朝臣、帝王相親之詞と雲り、朝臣の字お当られたるは、阿佐淤美と雲訓お借れるのみにて、本より此字の意の称には非れども、此字お用ひられたるには、朝廷の臣と雲意おも取られたるなるべし、さて此お後世にあそんと唱るは、音便にくづれたるなり、さて天武天皇の御世に、初めて此尸お賜へる氏々ほ、多くは旧臣の尸なりし氏々なるは、もと吾兄臣(あせおみ)の意なる故にやあらむ、〉書紀神功巻の歌にも、此人お多麻枳波屡、子知能阿曾とよめり、又万葉十六には、水渟(みづたまる)、池田乃阿曾(いけだのあそ)、八穂蓼乎(やほたでお)、穂積乃阿曾(ほづみのあそ)、薦畳(こもだヽみ)、平群乃阿曾(へぐりのあそ)、などもよめり、