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姓序考
朝臣
朝臣姓は、天武朝廷の詔に、八色姓お改められしとき、二曰朝臣とみえしにて、神別のむねとせし氏々に賜へる姓也、旧は阿曾美と雲しお宝亀四年五月辛巳、阿曾美為朝臣と光仁紀にみえたれば、この御代にしも文字は改められし也、〈○中略〉阿曾美はもと阿勢袁臣の約れるもの也、阿勢袁は、古事記中巻日代宮の段倭建命の御歌、又下巻長谷朝倉宮の段袁抒比売の献歌などにみえて、吾兄男といへる義あり、又阿勢袁お約めて阿曾ともいへり、阿曾といへることは、古事記下巻高津宮の段天皇の御製歌、又万葉集第十六〈廿一右〉等にみえたり、ともに上古の称言なれば、太古よりあらへたる臣姓のうへに、其称言おそへて、臣姓よりうへなるものとせられたるは、臣姓に対ては甚貴しといふお含まれしなるべし、朝臣おしも第二に置るヽことは、真人姓の氏々は、既に雲るごとく、ちかき皇族達にて在ば、臣ながら臣の列にはかぞへがたし、朝臣姓賜へるは、もと臣姓なりしにて、是は神別の氏々の多けく神代より臣達なれば、臣の中には、ことにうへこすものなきとの意にて、吾見男臣の称言もて、朝臣の号お思ひよせられし也、師の朝廷の臣といふ意お含められたることもあるべしといはれしも此義也、
○按ずるに、宝亀四年五月に、阿曾美お朝臣とし、足尼お宿禰としたる類は、当時此等の文字お混用せしお改めて、一般に朝臣宿禰の字お用いしめたるものにて、姓序考の説、恐らくは非ならん、