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古事記伝
二十二
宿禰は、遠飛鳥宮段歌に、須久禰(すくね)とある、是此号の正しく見えたるなり、〈正しく見ゆとは、仮字書お雲なり、〉書紀私記に、昔称皇子為大兄、又称近臣為少兄(すくなえ)也、宿禰(すくね)之義取於少兄也とある、此意の称なり、〈但し允恭天皇の御名にも負給へるは、御兄の御名大兄雲々に対へて、少兄と申せるなるべし、然れば臣のみにも限らざりけむ、須久那廷(すくなえ)お約て須久泥(すくね)雲なり、さて私記の此文の次に、或説帝王相親雲曾古爾禰与(そこにねよ)、蓋敬とある甚幼く雲に足ぬことぞ、こは旧事紀の説なり、此外にも、旧(もと)事紀に宿禰の事お雲る皆違へり〉さて此は、古はたヾ臣等お尊み親みて雲る称にして、姓の加婆禰になれるは、浄御原御世より始れり、〈此御代に八色姓お定められたる、第一真人、第二朝臣、第三宿禰なり、さて其時諸氏に賜へるお見るに、宿禰は、多くは旧連なりし氏々に賜へりき、〉