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古事記伝
二十六
和気(わけ)は国造稲置などの類にて、諸国処々にありて、〈此より以前には境岡宮段に、血沼別、多遅麻竹別、伊邪河宮段に、葛野別、近淡海蚊野別、若狭耳別、三河穂別など其次々にも、此より下にも、多く某別とある、皆是なり、此段の内に三野之宇泥須和気と仮字にも書たり、〉上として其地お治むる人お雲、名義は〈別と書るは借字にて〉吾君兄(わぎえ)の意なるべし、〈此類に、君と雲尸もあり、又直と雲むある、其も阿多比兄(あたひえ)なること伝七に雲るが如し、同類お以て知べし、宿禰も少兄(すくなえ)なり、〉凡て諸の尸、みな崇めて呼称なり、さて此因に、此に雲べきことあり、御世御世の皇子等の御名、及さらぬ人の名にも、某別だ雲が多き、〈かの諸国の尸の別は、某の別と雲お、人名はたヽに某別と雲て、之(の)とは雲はず、〉其も名意は、吾君兄(わぎえ)なり、〈天皇の、己命の御子たちお君と名け給はむことはいかヾと思ふ人もあるべけれど、そはひが心なり、応神天皇の御言に、大雀命お佐邪岐呵芸と詔へることなどもあるおや、〉然れども此に挙たる国々の尸の別と、人名の別とは、本より異なり、思ひ混ふべからず、〈言の意は同じけれども、一物には非ず、さて万葉に、又一種の和気あり、某は己より下ざまの者お指て雲称にて、女など雲類なり、是も本は、吾君兄の意にて、尊崇めて雲るが、世々に雲なれて、後にはおのづから、返て賤むる称になれるなり、かの女も、名称にて、本は称崇めて雲るが、後には賤むる称となれると同じことなり、漢国にても、人お卿と雲は、是も本は崇めて雲るが賤むる称となれるも同じ、此万葉の和気はまぎらはしくて人の疑ふことなり、己委き考あり、事長ければ其は此には略きつ、〉