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倭訓栞
前編八/久
くにのみやつこ 日本紀に国〈の〉造およめり、後世の国司の如し、其国の宮社お祭れば、みやつこの名ありといひ、またもと其地お開き造りたる意成べければ、くにづこどよみて事足ぬともいへるは、ともに非るべし、日本紀に諸の仕奉る人等お総挙るには、必す臣連件造国造と並べいへり、国造は諸国にて其国お治るおいふ、今昔おもて呼り、其絶ざるは出雲にのみ遣れり、紀州目前、備中吉備津宮、因州宇都宮なども同じ、孝徳の御字に国造お郡司にせられしは、神事に預る事なかりけん、文武の時に神事おも兼行はせられたり、かくて後神事に言よせて公事おかくことありしかば、桓武の時より又国造は神事のみにて、別に郡司は置れし也といへり、