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姓序考
国造
国造、〈○中略〉師〈○本居宣長〉のいはれしことは、いまだことの本源お雲つくさヾりしゆえにかなひがたし、そお雲ば、臣は称言には意美(おみ)と雲ひ、君に対ては夜都古(やつこ)といへり、夜(や)は発語にて都古(つこ)ともいへり、〈都古に附子の意にて、君に附る子の義なり、附お都(つ)とのみ雲るは体言なり、吾友北村久備の雲るは、都古は仕子なるべし、都加閉(つかへ)お約れば都気(つけ)となれるが転れるかといへり、〉是お称言には、御字おそへて美夜都古といへれど、たヾなるときは夜都古とも都古ともいへり、さるから国造お称言には久邇乃美夜都古といふべけれど、平生なるには久邇乃都古といふべし、即国附子の謂なり、造字お当しものは其事お為の義にいへり、事お為は、事お執行へるおいふ、事お作り出るの謂ならず、〈造字は、ものお作り出る意に雲ことは漢籍の意也、こなたにては、ものおつくり出るには作字おかけり、〉国造は各国のことどもお執行るから、やがて造字お当しもの也、なめて国造と雲は、既雲し如く、公、国造、県主、村主、稲置までおいふこと也、国造も伴造も、たヾ造とのみいふべきお、さいひては二種の造のあるなへに、ことのまがへれば、雲別べく料に、国事に預れるには国字おそへ、職事に預りて伴雄お率るには伴字おそへいへるもの也、国附子伴附子の謂なるから、詞には久邇乃都古、止毛乃都古といふべきこどなり、〈すべて如此其国のことおなし、其伴男のことおなせれば、国にも伴にも、意あることなるには、乃字おそへ雲こと例なり、〉成務朝廷五年秋九月、令諸国以国郡立造長、県邑置稲置、並賜楯矛以為表、とみえしもて、其国事に預れるものなるお思へ、既雲しごとく、国造、県主、村主、稲置は、みな職なりしかど、其職は矢て姓になれるから、後よりみれば、職ながら加婆禰のごとくなれど、そは深く旧お考思はざるに依り、国造は諸国各地お司りし由お雲は、姓氏録に造姓お負る氏々いと多き中に、杖部、猪名部、奄智、韓矢田部、茨木、軽部、若桜部、八木、長谷部、矢田部、積組、大庭、大丘、福当、日置、山田、若江、高野、飛鳥戸、御地、中野、真野、枌谷、高井、狛、八坂、朝妻、波多、薦豆、和、糸井、二野、豊津、高安、河内、宇奴、日根、取石、原、長倉、小橋、豊村等の四十二氏は、みな地号以て氏とせしにて、上古は各地の造なりしお知れ、太古には大国造国造の二種ありしことにて、大国造は国の宰也、国造は郡の宰なりし也、〈国の宰は筑紫国造、出雲国造のたぐひおいへり、郡の宰は闘鶏国造、伊甚国造のたぐひ也、大国小国のけぢめもていふ大国造国造といふにはあらず、郡には代県主あるなへに、郡の宰おしも国造とはいふまじきごと思ふべけれど、然ならず、郡邑の宰なる造又村主等にても、勲功あるには造又は公に姓お進め給へれば、郡邑の号お以て氏とせし公姓のいと多く姓氏録にみえたり、〉郡又邑の宰なる国造に対ては、国の宰なる国造は甚大なるなへに、夫には大字お冠せて大国造としもいへりしならむ、是ぞ国造のうちのけぢめなりける、成務朝廷の詔に、国郡立造長とみえしは、こおいはれたる也、こたび国造お公姓の下に序次せしものは、大宝元年夏四月癸丑、遣唐大通事大津国造広人、賜垂水君姓とみえしに依りて也、