[p.0057][p.0058]
姓序考
伴造
伴造は、其各部お司るおさしての謂なり、ことの意は件附子(とものつき)也、伴とは其部曲の人おいへり、太古掌職人は、自其事おなせしから、各部にありて、職おなせしものおば某部と雲りし、部は止毛とも牟礼とも訓て、其職おなす人等おひとつらになしての謂なり、各々にことわけて雲には某作といへり、〈件も部もひとつらのことにて、ことものなるにあらず、物部氏、大伴氏は、朝廷の倒守護人等なれば、其部の多きから、万葉集第三第四第六第十七弟十八第十九などには、物力負能(もののふの)、八十件男(やそとものお)と雲ひ、万葉第七には靭懸流伴雄広伎大伴(ゆぎかくるとものおひろきおほとも)などいへり、八十伴男は八十部男といへるなり、伴雄広伎は、件男多きといへるにて、上古は多きことお広きともいへり、八十と雲も、其部の多きお雲称言也、件雄のことは、古事記伝第十五巻十八右に、ことのよしお委にいはれたれば、あはせみるべし、〉さるから姓氏録に造姓いと多かれど、地号と〈地号の造は、上件国造の条にいへり、〉職号とのみ也、間人、酒人、櫛代、衣縫、神社、宮部、佐伯、門部、刑部、真髪部、伊部、神宮部、掃守、秦、幡文、工、大伴、呉服、坏作等、みな其職おもて氏に負るもの十九氏あり、此外衣縫部、佐伯部などのたぐひ、部字のそはりしは又其下に在るものにて、是おしも部曲といへり、〈部曲の事は後にいへり〉故伴造としも雲は、首、伴造、直、史の四等姓おいふことになれヽど、公国造、県主、村主、稲置の五等姓までお混同しても伴造といへり、皇極朝廷二年九月丙午雲々、仍賜臣、連、伴造、帛布、各有差、冬十月丁未朔己酉、饗賜群臣伴造於朝堂、又孝徳紀大化元年秋七月己卯雲々、大夫与百伴造等などみえしは、国造伴造お並雲る也、〈孝徳紀には、二造お並て、伴造とのみいへる処々ことに多し、〉伴造姓おしも、連姓下首姓の次に置るものは、天武朝廷十二年九月乙酉朔丁未、水取造、刑部造、物部首雲々、賜姓曰連とみえしに依れり