[p.0058][p.0059]
姓序考

直はもと職号なりしものヽ姓なごりしならん、其職なりしときのさまは、其業々おみづからなせしなへに、阿多比延(あたひえ)の号つきし也、阿多比は授にて、授兄又は予兄の意なるべし、さるから其意お得て、直或費字お当し也、如此卑事に近き職なりしから、其人にたへたる事お任されしかば、姓氏録に直姓の氏々は、職号と地号と相半してみえたり、直職より夫々の業にたへしものお撰定て、事職又国事お授給へらし也、〈阿多比のことのヽろおいはんに、物お得て其替りおまたせるお、今も阿多比といへり、こはたヾに其物に相替れるの義なり、直の職なりしときも、其闕たる職々に相替るの義にとれる号なり、〉故氏号に、職及地号の相半して残れるにて思へ、姓とこなりても旧(もと)卑職なりしから、最下の姓とせられたり、されどこれより出身せるは太古の遺制なればにや、神護景雲二年夏四月乙酉、伊予国神野郡人賀茂直人主等四人、賜姓伊予賀茂朝臣、又秋七月壬午、武蔵国入間郡人五正六位上勲五等物部直広成等六人、賜姓入間宿禰、八月辛酉、近江国浅井郡従七位下桑原直新麻呂、外大初位下桑原直訓志必登等、賜姓桑原公、天武朝廷十四年六月乙亥朔甲午、大隅直賜姓曰忌寸、とみえしは、みな其等おこえてなりのぼれるにて思ふべし、こたび伴造の下に序次せしものは、旧(もと)職号の時のさまと、史姓よりは直姓に転れど、外の姓よりうつりたることなきおもて、如此は定めつる、