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古事記伝
二十二
御上祝(みかみのはふり)、御上は、和名抄に、近江〈の〉国野洲〈の〉郡三上の〈美加無〉郷是なり、〈○中略〉、祝は波布理(はふり)と訓、山(む)城〈の〉国相楽〈の〉郡の郷名祝園、此〈の〉記に波布埋曾能(はふりその)と書り、又和名抄〈上野の国新田の郡の郷の名〉に、祝人波布利(ははふり)とあり、〈是波布理(はふり)てふことの、正(まさ)しく見えたるなり、〉神功紀に小竹祝天野祝(しぬのはふりあまぬのはふり)など見ゆ、〈神武紀に居勢祝(こせはふり)とあるは、神社の祝部(はふり)には非じ、景行紀なる蝦夷名大羽振辺(おほはふりべ)などの類の名なるべし、○中略〉さて此〈の〉御上〈の〉祝は、たヾ御上〈の〉社の祝部(はふり)と雲とは、いさヽか異にして、上巻に、胸形〈の〉君等(か)之以伊都久(もちいつく)三前〈の〉大神者也、などある類なれば姓なり、姓氏録に、鴨部〈の〉祝(はふり)、紀〈の〉祝、波多〈の〉祝、三歳〈の〉祝など雲姓もある、其類なるべし、