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姓序考

史は書人の意也、布美毘登(ふみびと)と訓べし、又淡海公の名、史なりしお不比等とも書りしかば、美お省きて布比登(ふひと)とも訓べしと師はいはれき、宝亀元年九月壬戌、以去天平宝字九歳、改首史姓並為毘登、彼此難分、氏族混雑、於事不穏、宜従本字とみえたれば、ひとたびは毘登といはれしかども、まぎれぬるおもて、もとにかへされし也、故思ふに、史は旧職の号なりしが姓になれる也、史の職なりしときは、其道々の書籍おみて、ことども思ひあきらめ、其才々にまかせて、其業どもお任しめられしなれば、このなごりなほ後世までもありて、諸道に史生お置るヽことヽなれり、史とだにいへば、書籍のかたにのみ拘れることヽ思ふは、漢風俗のこヽろうつしにて、こなたのさまにたがへり、本源は書読むわざおしもいふこどながら、各道にしるしたるふみどものありて、其おしも見明めぬるお、わざとせることなれば、布美毘登(ふみひと)の号はありし、履中朝延四年秋八月辛卯朔戊戌、始於諸国置国史、記言事達四方志、とみえしものは、各国に史お置れて、其国の言草お記されし也、各道によりて、わざごとのかはれることなれど、夫おしもしるしヾむることは、文筆にかヽれることにあれば、漢土人のいとよく心得しわざにしあなればにや、姓氏録諸蕃の氏々に此姓いと多し、神別の氏にはさらになく、皇別に垂水史、田辺史、御立史の三氏あるのみなり、〈史は漢土の官名おそのまヽに姓にせられしにもあらん〉