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氏族考

村主は、須久理(すくり)と訓む、和名抄伊勢国安濃郡〈の〉村主〈須久利〉とある.是其証なり、成務紀四年の詔に、国郡立長、県邑置首とみえし時置れし職号なるが姓になれる也、〈○中略〉さて村王は、諸国の邑里の長として、其地お治る職なりしが、後に姓となれるなるべし、〈○註略〉名義は俊秀の義なるお、文字は其村中の主首となる俊秀人お撰て、村の主とする由にて、村主とは書るなめり、〈一説に、須久理に漢語にて、韓国の官名なりしがこなたにうつりしお、やがて姓にせられしから、此姓諸蕃にのみ多と雲るに因て、又按ふに、天智紀二年に、白村江あり、新羅の地名なるが、村おすきと訓み、又欽明紀二年、皇極妃元年、ともに主おにりむとも訓り、然らば村主は、すきにりむの合語なるお、きにおきに約め、きおくに転じて、すくりみとなれるにはあらじ歟、なほよく考ふべし、〉