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古事記伝
十五
天武天皇十三年十月朔日に、更改諸氏姓、作八色之姓、以混夷天下万姓、一曰真人、二日朝臣、三日宿禰、四日忌寸、五日道師、六日臣、七日連、八日稲置.かくの如く定められて、即英日に、守山公など十三氏に真人の姓お賜ひ、其後つぎ〳〵に、大三輪〈の〉公など五十二氏に朝臣の姓、大伴〈の〉連など五十氏に宿禰の姓、大倭〈の〉連など十一氏に忌寸の姓お賜ひ、桑原〈の〉村主訶都、槻本〈の〉村主勝麻呂に連の姓お賜ひしこどなど見えて、道師、臣、稲置などの姓お賜ひしことは見えず、又右の八色の余の姓も、此後もなほ多し、然れば一たびかく定め給ひしかども.全くは其如くにもあらで止ぬるこどなるべし、さて右の八色の中に、初の五は此より以前には無き加婆禰(かばね)なり、但人お崇て阿曾(あそ)と雲しことは、仁徳天皇の大御歌に宇知能阿曾(うちのあそ)と見え、後にも万葉歌に平群朝臣(へぐりのあそ)穂積朝臣(ほづみのあそ)などよめり、美(み)お省けるなり、真人だ雲称もふるくより有しなるべし、天武天皇の大御名も瀛〈の〉真人とあり、宿禰も上代より名には多く見ゆ、道師は神代紀に道主貴(みちぬしのむち)、開化天皇の御孫に丹波〈の〉道主〈の〉命あり、欽明紀に道君おみちのうしだ訓り、然れば本より此称有に、道師〈の〉字お塡られたるなり、かくの如く何れも其希はもとよりありつれども、姓の加婆禰となれるは、此御世より始まれることなり、さて道師は、此時八色の一に定められしかども、此加婆繭の姓は、後までも物に見えたることなし、