[p.0134]
塵添壒囊抄

百数事
或人説、百姓とは本朝源平藤橘四姓分れて百姓と成る、其内廿氏は公家、八十氏は武家也、仍て物武八十氏(ものヽふのやそうじ)なんど雲と、又此由注せる物も侍べり、然共難信用説也、物武八十氏は、さもこそ侍らめ、百姓と雲事、日本に雲始むる詞に非ず、漢朝より起て、多く文に載たり、争か本朝四姓百に分るヽに依て百姓と雲はんや、〈○中略〉順和名に所載する既五百に余り、六百に及べり、其内朝臣百四十六姓、真人三十八、宿禰二百六十六、公六十四、首六十八、臣四也、是隻億兆黎首、皆以皇氏、都て百姓と雲、百に可〈に〉限る非ず、傍以て難思、親房卿記なんども、隻充る数と註されたり、誠に爾なるべきおや、百王の義又以同之、神裔争か百代に窮まり給はんや、今已に余れり、敢て十々の数不可執、然ば、百敷も百人の座敷とは不可思、