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古史徴
一夏
此は勝宝年中に、諸蕃人の裔等が、願ふまに〳〵姓氏お賜へりし故に、前より有し姓と、後に蕃種に賜へる姓と、文字の同じき有て、皇国人の末と、蕃人の裔との氏族に相紛れ、疑ふべき事の出来しと雲るなり、其は山城国天孫部に、山背忌寸、天都比古禰命子、天麻比止都禰命之後也とある、是前よりの氏なるに、御紀に天平勝宝八年七月、河内国石川郡漢人広橋刀自売等十二人、賜山背忌寸姓とあり、此余蕃別に、日置、檜前、高野、大伴、為奈部、六人部など雲姓氏あるは、皆天神天孫の高く貴き氏々なるお、蕃人の裔等に許し賜へる事は、いはゆる蕃俗和俗相疑はしむるにて、甚(いと)も慨(うれた)き事なりかし、〈但し此は、此御世に始て有し事にもあらず、是より前にも、倭人に本より賜へる姓お、蕃種に賜へる事もこれかれ見えたれども、此御世には、殊に然る事の多かりけむ、故に此御世に係て序(しる)されたるにぞ有べき、〉