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玉勝間

姓氏の事
よに源平藤橘とならべて四姓といふ、源平藤原は、中昔より殊に広き姓なれば、さもいひつべきお、橘はしも、かの三うぢにくらぶれば、こよなくせばきお、此かぞへのうちに入ぬるは、いかなるよしにかあらん、おもふに嵯峨天皇の御代に、皇后の御ゆかりに、尊みそめたりしならひにやあらむ、かくて此四姓のことは、もろこしぶみにさへいへる.そはむかし、こヽの人の物せしが語りつらむお聞て、しるしたなるお、かしこまでしられたることヽ、よにいみじきわざにぞ思ふめる、すべて何事にまれ、こヽの事のかしこの書に見えたるおば、いみじきことにおもふなるは、いとおろかなることこなり、すべてかの国の書には、その国々の人の語れる事お、きけるまヽにしるせれば、なにのめづらしくいみじきことかはあらむ、