[p.0185][p.0186]
玄同放言
三上
姓名称謂
六七百年以降は、苗字といふものいで来つヽ、氏と苗氏と混雑して、姓お唱ることのなければ、姓氏はありてもなきが如し、しかはあれども昔姓氏の正しきときにも、希には姓のなきもあり、そは無姓者某だ書きたり、三代実録〈四十九〉仁和二年冬十月の条下雲、三日戊午、勅無姓者、其名清実、賜姓滋水朝臣、貫右京一条これなり、清実元来姓なきにあらず、十け年以前、罪ありて属籍お削られ、その身庶人になりしかば、姓氏なし、この日賜りし、滋水は氏なり、朝臣は姓なり、又聞見の随(まヽ)記録するに、姓氏のしれざるものは不知姓某と書ことあり、中右記〈大治五年十一月の条〉廿三日雲々、常陸清原近宗、安房不知姓実信雲々是なり、右に見えたる清原は氏なり、清原氏は真人の姓なれども、この時世は苗字お唱るものも多くなりしかば、氏のみ唱て姓お省くが恒になりぬ、〈○中略〉庶人は昔も姓(かばね)なし、