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玉勝間

姓氏の事
今の世には、姓(うぢ)のしられざる人のみぞおほかる、さるはいかなるしづ山がつといへども、みな古の人の末にてはあるなれば、姓のなきはあらざなる事なるお、中むかしよりして、いはゆる苗字おのみよびならへるまヽに、下々なるものなどは、こと〴〵しく姓と苗字とおならべて、なのるべきにもあらざるから、おのづから姓はうづもれ行て、世々おへては、みづからだにしらずなれるなり、さて後になりのぼりて、人めかしくなれる者などは、姓のなきお物げなくあかぬ事に思ひては、あるは藤原、あるは源平など、おのがこのめるおみだりにつくこといと多し、すべて足利の未のみだれ世よりして、天の下の姓氏、たヾしからず、皆いとみだりがはしくぞなれりける、その中に、近き世の人のなのる姓は、十に九つまでは源藤原平なり、そはいにしへのもろ〳〵の氏氏は絶て、此三氏のかぎり、多くのこれるにやと思へば、さにはあらず、中昔よりして、此三うぢの人のみ、つかさ位高きは有て、他のもろ〳〵の氏人どもは、皆すぎ〳〵にいやしくのみなりくだれるから、其人は有ながら、其姓はおのづからかくれゆきて、おさ〳〵しる人もなく、絶たるがごとなれるなり、又ひとつには、近き世の人は、古のもろ〳〵の姓おばしることなくして、姓はたヾ源平藤橋などのみなるがごと心得たるから、おのが好みてあらたにつくも、皆これらのうちなるが故に、古のもろ〳〵の姓はきこえす、いよ〳〵源平藤は多くなりきぬるなり、又古の名高くすぐれたる人おしたひては、その子孫ぞといひなして、学問するものは、菅原大江などになり、武士は多く源になるたぐひあり、すべて近き世は、よろしきほどの人々も、たヾ苗字おなんむねとはして、姓はかへりておもてにはたヽざるならひなる故に、おのが心にまかせて物するなり、さて又ちかき年ごろ、万葉ぶりの歌およみ、古学おする輩は、又ふるき姓おおもしろく思ひて、世の人のきヽもならはぬふるめかしきお、あらたにつきてなのる者はた多かるは、かの漢学者のからめかして、苗字おきりたちて、一字になすと同じたぐひにて、いとうるさく、その人の心のおさなさのおしはからるヽわざぞかし、いにしへおしたふとならば、古のさだめお守りて、殊にさやうに姓などお、みだりにはすまじきわざなるに、かの禍津日〈の〉前の探湯おもおそれざなるは、まことに古お好むとはいはるべしやは、そも〳〵姓は、先祖より伝はる物にこそあれ、上より賜はらざらむかぎりは、心にまかせてしかわたくしにすべき物にはあらず、まことに其姓にはあらずとも、中ごろの先祖、もしはおほぢ父の世よりなのり来てあらんは、なはさても有べきお、おのがあらたに物せんことは、いご〳〵あるまじきわざになむ、姓しられざらんには、たヾ苗字おなのりてあらんに、なでふことかはあらん、すべて古おこのまむからに、よろづおあながちに古めかさむとかまふるは、中々にいにしへのこヽろにはあらざるものおや、