[p.0299]
十一
関八州古戦録
宇都宮広綱卒去附紀清両党事
当家〈○宇都宮〉重代の輔翼、紀清両党と呼び伝へたるは、常陸国中里の益子、下野国真岡の芳賀、是なり、益子は、竹内大臣の苗裔、大納言紀古佐美の十五世、紀八郎貞頼、始て常州信太郡お賜り、信太庄司と称して、子孫連綿し、今の益子紀四郎重綱に至り、四万三千石の所知お領せり、芳賀は、清見原天皇〈○天武〉の皇子舎人親王の九代、蔵人清原吉澄の男大 〓物高重、花山院の勅勘お蒙り、野州に配流せられ、芳賀郡に住して、奕葉お伝へ、今の伊賀守高綱に至て五万石余の分限たり、