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太平記
十九
追奥勢跡道々合戦事
国司〈○北畠顕家〉新田徳寿丸、相模次郎時行、宇都宮の紀清両党(○○○○○○○○○)、彼是都合十万余騎、十二月〈○建武三年〉二十八日に、諸方皆牒合て、鎌倉へとぞ寄たりける、〈○中略〉清の党旗頭(○○○○○)芳賀兵衛入道禅可も、元来将軍方〈○足利尊氏〉に、志有ければ紀清両党が、国司に属して上洛しつる時は、虚病して国に留りたりけるが、清の党千余騎お率して馳加る、