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倭訓栞
前編三十/美
みやうじ(○○○○) 今家号お名字と呼ものは、中古名田の字(あざな)おもて称する故也、苗字と書は非ずといへり、名田は東鑑に見えて、もと史記平準書に出、名字は安東郡専当沙汰文に、御田の名附丁部等の名字と見えたり、儀礼疏にいふ名号の名も、亦姓氏お指ていへる也、一説に、延喜式に負名氏といふ事見えたれば、此義也といへり、又姓氏録に、中臣志斐連雲々、更加名学号志斐連と見えたるは、家号お称する始め成べしともいへり、
○按ずるに、安東郡専当沙汰文の当時宮中注進之分本御田名附並丁部等名字事の条下には、鶴三郎、河路宮内、中跡部半四郎、河路石若四郎等とありて、名又は姓名お挙げたり、倭訓栞に此お引きて、単に姓氏の事に為しヽは誤なり、