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燕石雑志

苗字(みやうじ)
名はいとたときものなれば、人のやがて呼ざらん為に、唐山には字(あなざ)して、これお互に呼べるなり、天朝には字の制度なし、私には字したるもありけり、〈菅家お菅三とまうし、文屋康秀お文琳といへる是なり、○中略〉今按ずるに、玉海に、安元三年四月二十日宣旨、依奉射神輿給獄所輩とある条に、田使俊行、〈字難波五郎〉藤原成直、〈字早尾六郎〉など見え、又奥羽軍記に、字荒川太郎、字斑目十郎など見えし、この難波早尾荒川斑目など称するは、後世にいふ苗字なり、苗字の字は、則字(あざな)の義なること思ひあはしつ、五郎六郎など称するこそ世々に異なれ、其難波と称し、早尾と称する字は、子孫へ伝るおもて苗字といへり、人の子たるもの、父お同苗と唱るにて、その義審なり、俗説弁に、今の苗字といふものは、姓氏にあらず、家号なりといへれど、苗字の字に心づかざるなり、かヽれば此にて字(あざな)と称するは、唐山の字とおなじからず、士に苗字といひ、市人に家号(いへな)といふ、亦これ故あり、