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家号軒滴


今世に雲苗字は、家名にして、遠く今昔物語、および義経記等に見ゆれば、古き世よりいひ来りしものと先輩の説にも見えたり、憲〈○本多忠憲〉按ずるに、名字の二字、古史旧書に見えしは、日本書紀欽明紀曰、与任那日本府吉備臣、〈闕名字〉往赴百済、倶聴詔書、〈下略〉この文によりて見れば、欽明天皇のころより、名字といへる事あるにはあらざるにや、右の紀は、一品舎人親王、養老〈元正天皇〉四年五月癸酉、功なりて奏し奉られし紀なりと世にはいひ伝ふ、さあれば朱鳥大宝和銅の年間より、粗名字といふ事お用る故に、此書紀にかくはしるされしものにぞあるべき、将其むかしの苗字は、あらかじめ家祖の出たる其地名おすぐに称して、おの〳〵わかてり、今は敢て其定にもあらず、さま〴〵なりき、