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土佐軍記

三韓為日本属国事附長曾我部先祖事
此時の国守細川の某、其威軽して、諸士下知に不随、其外吉良大平本山なんど雲る領主有けれども、其比は兵革打続て、政道も妄也しかば、国人あへて不信之、是に由て長岡郡二十枝(はたえだ)江村郷の庄司、今度元勝の著岸ある由お聞て大に悦び、此所守護なふして、近郷の乱妨狼籍甚し、援に留り玉へ、守護に仰ぎ奉るべしとて、江村郷の領主江村備後守が養子として、長岡郡曾我部に城お築て入おき、則在名によつて、氏お曾我部と改けり、然るに同国香美郡にも曾我部と雲所あつて、領主おも曾我部某と申ければ、各郡名の上の一字お添て、長曾我部香曾我部とぞ申ける、