[p.0340]
武徳編年集成

永禄十二己巳年正月、御当家、近代は松平と称せらると雖、神君、〈○徳川家康〉曩祖の称号徳川に復し玉ふこと日あり、此由去冬始めて将軍義昭卿へ達せらる、幕府より近衛前久公に拠て、叡聞〈○正親町〉に達せられける所に、乃旧 〓九日勅許有て、口宣案、長橋の局の奉書等到来、今三日義昭卿より、是お遠州浜松へ贈り、御内書お投ぜられ、大刀一腰お賜ふ、〈○中略〉
伝称す、応仁以来朝廷柳営、在れども無が如にして、迦逅に聘礼お捧る牧伯は禁闕幕府共に、恩沢甚厚く、聊の事にも口宣お賜り、女房の奉書お伝奏より柳営へ遣すこと、是全く衰世の風儀にして、治世の恒例に違へり、必しも古風且後来太平の世の格お以て論ずべからずと雲々、