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授業編

姓氏
学事にたづさはらぬ人の上にていへば、姓氏の長きも短きも其通りなれども、僅に詩文の業にあづかる人は、姓氏の重複して、雅馴ならざるお嫌ひ、是お截断して一字姓となし用る事、これも萱園〈○荻生徂来〉の学おこりてより諸州に多し、京師にても宇士新など、其義お然りとし、自身の宇野氏の上一字お摘て宇氏とす、一時其弟子輩、みな其義に従ふ、士新、地名においては、修しあらたむる事お誡めてなさず、姓氏にありては、右の如きは其見識、二人に出るに似たりといふ人もあり、〈○中略〉複姓お修して単姓とするさへも、軽薄にして謂れ無き事なるお、一向に他の字おかへ用る人あり、其軽薄更に甚し、たとへば朝比奈氏の朝氏と称し、鷹見氏の雍氏と称し、十河お何とし、長谷川お張とする類なり、余〈○江村北海〉が撰せる日本詩選にも録せる、越後の五十嵐俊明、中年にありて、或人の説お信じ、呉俊明と称す、呉と五と吾邦にて音同じき故なり、老後其非おさとりて、五十嵐氏に復す、但し三字姓は、文事に用いるには実に雅ならざれば、朝比奈お朝、長谷川お長とか谷とかせんは、時にとりてはゆるす方もあるべきか、又自家の姓氏お俗なりとし、少しのよりどころもなき文字にかへて、漢土めきたりと喜ぶ人もあり、其軽薄益々甚だし、要するに祖先より承くるところの姓氏お、自分の意に任せ、あちこちとなぶるは、理義に於て害ある事なり、