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梅園日記

大臣称号後字
樋口殿記雲、臣下に後(ご)とよむは、後京極、後徳大寺、後成恩寺ばかり也、有職玉の枝雲、後(ご)といふは、天子の号計(ばかり)にて候哉、答、其通りにて候、然れども後徳大寺、後京極、是は古へよりごとよみ来る故、其通りよみて不苦候、其外は後(のち)と読たるがよく候、後(のちの)成恩寺殿などよみ申候、〈関秘録に、後京極、後徳大寺は、音に後(ご)と唱ふ、是は其人品徳義お賞美してなり、○中略〉年山紀聞雲、和長卿日記雲、凡儒中の故実者、天子之追号、後字用音読、大臣称号之時、後字用訓読、是通法之故実也雲々、又大臣称号之内、後京極殿之一号、人皆後字用音歟、是無殊事、隻以言好之(ひき)義也、故自由之読也、何後(のち)の京極殿可(と)申事、有其煩哉、玉かつま〈からあいの巻〉に、愚管抄に、後の京極殿と、のヽ字おそへて書たり、これ後の京極と申しヽ証也とあり、和長卿の御説の証とすべし、さて実定公おも、後の徳大等殿と申べき也、其証は、隆信朝臣集の詞に、のちの徳大寺の左大臣、大納言と申しヽ時雲々〈肖柏九代抄、新古今の条に、後の徳大寺左大臣、〉とあり、又続世継〈こけ衣の巻〉に、のちの二条殿の御子には雲々と雲り、すべてのちとよまん事論なし、