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譜牒に、纂記、系図、譜図、氏文、門文、本系帳等あり、纂記は、早く持統天皇の朝に見え、系図は、元正天皇の養老四年に、舎人親王が、日本書紀と共に系図一巻お撰びて奏上し給ひしお始とし、宇多天皇の完平四年に、菅原道真、亦類聚国史と共に帝王系図三巻お奏上せり、譜図は、和気清麻呂の和氏譜お最旧とし、皇字沙汰文に載せたる皇大神宮禰宜譜図帳に拠りて、粗ゝ其体裁お窺ふことお得べし、氏文は、其氏祖の由緒、及び代々の事蹟お記しヽものにて、政事要略、本朝月令等に引ける高橋氏文、及び文車遠響に載せたる丹生祝氏文等あり、門文は、其一門ごとの系譜お明せるものにして、而して門文お総べ集めて、其本系お明にせるものは、即ち本系帳なり
抑ゝ我国は上に一系の天皇ありて君臨し給ひ、下に同宗の臣民ありて隷属す、故に古より特に姓氏譜牒の事お重くし、允恭天皇の朝には、姓氏紊乱して尊卑弁じ難きに由り、盟神探湯お以て其真偽お定めしめ給ひし事あり、其後歴朝ごとに、天下の諸氏おして各ゝ其本系お献ぜしめ、之お図書寮に蔵む、後世武人の戦陣に臨み敵に向ひて、其祖先お揚言する如きも、亦姓氏お重ずるの意に外ならず、其他臨時に譜牒お進献せしむる事あり、持統天皇の五年には、大三輪以下の十八氏に詔して、其家の纂記お上らしめ給ひ、桓武天皇の延暦十八年には、天下の諸氏及び帰化の諸蕃に勅して、各ゝ其本系帳お進めしめ給ひ、陽成天皇の元慶五年には、諸国神社の祝部氏人の本系帳お三年に一進せしむる制お定め給へり、後世徳川氏の時も、諸侯おして各ゝ其家譜お献ぜしめ、或は吏員お置きて、麾下の士の系図お査覈せしめたり、」又古は勘王世所ありて、皇胤の系統お明にし、撰氏族志所お設けて、氏族の譜牒お編修せしむ、孝謙天皇の朝、勅して名儒お聚めて氏族志お撰ばしめ給ひしが、果さず、桓武天皇の朝、亦勅して諸氏の本系お編纂せしめ給ひしかども、中道にして崩御あり、嵯峨天皇に至り、前業お紹ぎ、万多親王等に勅して、之お大成せしめ給ふ、名けて新撰姓氏録といふ、蓋し唐太宗の氏族志お修し、高宗之お改めて姓氏録卜為しヽに効ひしものなるべし、後世徳川幕府も亦 〓ゝ諸家の系図お編纂せしむ、完永諸家系図伝、完政重修諸家譜の如き是なり、其他私撰の氏族志あり、藤原公定の尊卑分脈、土橋氏の諸家知譜拙記、及び水戸藩の諸家系図纂の如き是なり、