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古史徴
一夏
釈紀または年中行事秘抄などに引たる高橋氏文と雲物あり、岩鹿六雁命の裔の高橋氏の事お記せる文なるが、甚珍しき事実ども見え、余の書にも氏文てふ事の見えたるお思ふに、古はかヽる文の多かりしだ聞ゆ、〈藻潮草てふ歌書に、人事部といふ部に、氏文と記して、其下に、ものヽふのやそうぢ文、これはいかにぞや、重て可尋とばかり見えたり、氏文てふ物お知ざりしと聞えて、これはいいにぞや雲々と雲へれども、此は扶木抄に、物部の八十氏文はかた〴〵に行別れたる跡ぞ見ける、とあり、此歌に依ても、古く氏文てふ物の多かりし事は知られたり、○中略〉信友が説に、神宮雑例集、嘉応二年左弁官下伊勢大神宮司書に、神部等氏文ともあり、氏文といふ称、なほ彼此ものに見え、また源平盛衰記に、西七郎広助、とべの三郎家俊と戦はむとする時に、広助遠祖の名お顕はし、祖の功お称へ上て名告せるに、家俊が対て、わぎみは軍のあれかし、氏文よまむと思ひけるかとて、又同じさまに言挙して名告し趣お記せり、〈○註略〉かくて高橋氏文の遺文、また盛衰記なる諍言お按(おも)ひ合すに、遠祖より継々の氏人の名お連ね書せるは素よりにて、代々の祖の事蹟おも委曲に書せる物と通(きこ)えたり、〈本系帳系図など雲も同じ物ながら、族の次第お系(か)け図(か)きたる方お主とし、氏文とは氏の出自の由緒お始めて、代々の事蹟お書けるお主とせるなるべく所思(おぼ)ゆ、〉