[p.0383][p.0384]
古史徴
一夏
今本に、新撰姓氏録序とある下に、此者第一巻之序也、不載官書目録、而載此巻、又抄姓氏録文註於此巻、是皆為備指掌也と雲る文のあるは、後人の書入なること論なし、然れどもいと近き世の所為とも見えず、〈一本に掌也の間に、私所為の三字あり、○中略〉抄姓氏録文、註於此巻、是皆為備指掌也とは、此書入れたる人の心に、此録の文の約なるお見て、全書には非ずて目録なりけむお、各々姓の下に録せる文は、姓氏録の本書より抄て、指掌に備へむ為に、撰者たちより後の人の私に註せる物ぞと非(ひが)心得したる物なり、其は新撰姓氏録抄とも題せる本の伝はるおも思ひ合せての説なるべし、〈また新撰姓氏録目録と題せる本のあるも、然る非心得しつる人の所為と見えたり、〉抑この録文は約なれども、抄略したる本の伝はれるには非ず、元来の全き書なることは、各々姓々の下に録せる文と、上に引りし桓武天皇紀十八年の詔命に、令載始祖及別祖等名、勿列枝流並継嗣歴名、とあるに熟(よ)く符(あへ)るお以て知べし、此録の成れる事は、もはら桓武天皇の御心より出たる御挙なれぼ、此詔命の如く録さむには、今伝はる本の如くならずば、得有まじき物なるお以て、抄略本に非ざること知られたり、〈○註略〉然るお見林本の後序に、同人の言るは、惜乎、氏族之書不多伝、幸新撰姓氏録抄、得存于今、惟憾其所存者、抄書而非完本也、藤原朝臣定房蔵之、大内氏得之、其所来尚矣、雖未知何人所抄、其意為備指掌亦用心之勒矣、其偶存者、後世之幸也といひ、また一本に、第一帙とある下の書入に、此書称抄者当矣、今所伝姓氏録者、乃古之目録也、可惜全書亡佚、其悉委不可得而考也とも雲るは、上件の旨お弁へず、姓氏録抄と題せる本もあるお見て、抄略本の伝はれると恩ひ惑へる言なりかし、全書にも抄字お添て題すること、中世人の常なれば、元無りし抄字お後人の書添たること論なきものおや、〈そは表にも序にも、新撰姓氏録とのみ有て抄といはず、大かた凡ての書に抄と雲ことは、天暦あたりより後に始れる事にて、抄と雲ずとも有べき書おも、然いふ効(ならひ)となむ成れりける、〉此は、吾が徒の中にも、然思ひ惑へる人の多かれば、いとも貴き宝典の幸にかく全くて伝はれるお、略本なりと思ひ貶さむことの憤ろしくて、弁へたるになむ、