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輪池叢書
三十七
完政重修系譜竟宴
ながうた 守躬
年月お、ふる河のべに、たつ杉の、ふたつの家に、人みなの、いゆきかよひて、ものヽふの、やそうぢがはの、かみつせに、みおさかのぼり、しもつせに、こぎたみくだり、しば舟の、しばしもおちず、あしひきの、やまとのみかは、ことさへぐ、から国までも、ふみのその、ことばのはやし、ふみわけて、つくりいだせる、巻々は、いくらばかりぞ、春されば、花さきおヽる、ものヽかず、十といひつヽ、いつヽにも、あまりにけらし、たまだすき、かけのよろしく、おほみ代に、たえたるおつぐ、いにしへの、ためしおさへも、しづたまき、くりかへしつヽ、かしこくも、いまのうつヽに、あひにけるかも、
反歌
つがの木のいやつぎ〳〵につたへきていまぞひらくる家々のふみ〈○中略〉
詩画各一幅、共一匣、画則堅田侯〈○堀田正敦〉属画人狩野与信写、而詩則宮川侯〈○堀田正穀〉自題、乃二侯之所賜隣也、先是完政十一年己未、有命重修列侯元土譜牒、越十有四年、今茲壬申〈○文化九年〉十一月始成、計千五百三十巻、為五十六函、其事者、前後六十余員、而二侯為之総裁、開局於私第以延之、就局者、朝而入、暮而散、孜々不怠、十余年如一旦、而二侯参賛之余、躬自率励、或与之対校、日夕不已、雖病不能朝、而力可以勉、則未嘗廃視事也、及其成也、官賜物各有差、而二侯亦特置酒以饗、遍有贈遺、宮川侯以詩以硯、堅田侯以画、或亦以硯、詩則侯之喜纂修功竣而賦者、皆侯自書、各幅全同、画則不一其人其様、而様皆特出于各人之嗜好、如好誌則李白観爆、好国雅則小倉山荘、家有見山之樓、則富士峯之類、侯用意之繊悉懇到可見巳、隣之不肖、以濫吹亦辱在贈中、其陶令弾琴図、蓋為隣癖于琴而作也、局之開也、二侯愍其優待甚至、暑時之冷麪、紫神散、参葉湯、寒時之葛湯、葛餅、浄手湯、或以園蔬、或以時果柿柑、以時慰労之、凡法書名画、四時花草、珍奇之物、有所致則出示之、此堅田侯之殊遇也、枇杷葉湯于夏醴羹湯腐于冬、佳茗之日給、風雨或少縮散限、此宮川侯之恤且恕也、其侍校讐、必茶之果之、別業花時、必借而遊焉、又必盃尊盤俎果餌以饗之、則二侯不有所異也、其同者固同、其異者凱異乎哉、発乎待人之渥則一也爾、隣有感于此、因併録、