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保元物語

白川殿義朝夜討被寄事
四郎左衛門、〈○中略〉大炊御門お西へ向て防けるが、援お寄るは源氏か平家か、名乗れきかん、角申は、六条判官為義が四男、前左衛門尉頼賢とぞ名乗ける、河向に答て雲、下野守殿〈○源義朝〉の郎等、相模国の住人、首藤刑部丞俊通子息滝口俊綱前陣お承て候と申せば、扠は一家の郎等ござんなれ、女お射にあらず、大将軍お射る也とて、川越に矢二つ放つ、〈○中略〉安芸守〈○平清盛〉は、二倍川原の東堤の西に向て引へたり、其勢の中より五十騎計先陣に進んで押寄たり、援お堅め給は誰人ぞ、名のらせ給へ、角申は安芸守殿の郎等に、伊勢国の住人故市伊藤武者景綱、同伊藤五伊藤六とぞ名乗ける、八郎是お聞、女が主の清盛おだに、あはぬ敵と思なり、平家は柏原天皇〈○桓武〉の御末なれども、時代久く成下れり、源氏は誰かはしらぬ、清和天皇より為朝までは九代也、六孫王〈○経基〉より七代、八幡殿〈○義家〉の孫、六条判官為義が八男、鎮西の八郎為朝ぞ、景綱ならば引退けとぞ宣ひける、