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源平盛衰記
三十五
粟津合戦事
木曾、赤地錦鎧直垂に、薄金と雲冑(よろひ)著て、射残したる護田鳥尾の矢負て、歩はせ出して名乗けるは、清和帝に十代の後胤、六条判官為義には孫、帯刀先生義賢次男、木曾左馬頭兼伊予守、今は朝日将軍源義仲、生年三十七、甲斐の一条と見るは僻事か、雑人の手にかけんより、組や組とて轡お並て踉蹌たり、一条次郎忠頼も、同流の源に伊予守頼義の三男、新羅三郎義光が孫、武田太郎信義が嫡子、一条次郎思頼、同三郎兼信、兄弟二人と名乗て進み出つヽ、木曾と一条と魚鱗鶴翼の戦おぞ並たる、