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赤松記
我々家の事は、前に申ごとくにて候間、代々有之候得共、左様の支証系図、伊井にて矢て無是非候、左候所に、おもひよらず我々家の古き支証ども、とくてうの依藤太郎左衛門持候よし承、いろ〳〵懇望し候へば、中々やすき事候問、一通も残らずわたし候はんと直に申送候間、依藤支証と同心して、八幡の岩の坊に預け置候問、被官の内にて候、くり山がいのへか両人に、一人のぼせ候はでは、取出候事ならず候間、まち候へと申されて延引候、其後ほどなく依藤死去、彼跡むざと成来候まヽ、中々申出し候はで置候、〈○中略〉
天正拾六年八月吉日 因幡守入道定阿判(/八十四歳書之)