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続武家閑談
十九
本朝姓氏弁 松平康抑識
近世系図者と雲者ありて、多く諸家の系図お妄作して、真お乱るものあり、譬ば紀州に保田庄司あり、何人の妄作せるにや、新羅三郎義光の末、安田三郎義定の後胤とす、紀州の保田、関東の安田、其出自違ひあることお不知、或は江州の人おば、皆佐々木一族とし、濃州の人お土岐の族とし、尾州の人お斯波武衛の後裔と妄作す、想ふに江州に、藤、橘、伴、菅原、中原、平有、源氏も宇多帝の後胤のみならず、清和嵯峨の御末も有、然ば曷ぞ佐々木家にかぎらんや、美濃尾張も皆同じ、其妄作可悪の甚きもの也、近来或人、安保氏の系図お作る、平城帝の皇子阿保親王の後裔と偽作す、安保は武蔵の七党、丹の庶流なるお不知にや、歴名補任に、諏訪信濃守神思卿.古押譜に、源忠卿とあやまる類も不少、其余の諸家の系伝記録に至て、偽妄の説おなして人お欺く者多し、実に天下の大賊也、今世の人、正史実録の正趣お不知、其妄説お信ずるもの、不明の至也、井沢長秀が曰、近世の系図は、子より親お生ずるといへるぞ格言なるべし、〈松井康抑基は、伝次郎と称す、父三郎左衛門康共以来、旧記お好んで、氏譜に委しき人なり、〉