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天明度田沼盛衰輪廻記
田沼主殿頭出生之事
番町御厩谷新御番佐野善左衛門といふ士あり、其昔佐野源左衛門常世六代之孫にして、佐野刑部国吉といふて、上州片岡之郡に住居して、足利二代義詮公に奉公して、常世より二十七世之孫、佐野善左衛門藤原正意とて、代々筋目正しき家柄也、小身とはいへども、佐野系図持来る也、然るに田沼家は大身といへども系図なくして、主殿頭〈○意次〉是お聞及び、上州片岡郡佐野の郷に、むかし田沼大明神といふ社あり、是佐野国善の建立なり、〈○中略〉主殿頭思ふやうは、若佐野家の系図あらば、我系図お作るによき種にも可成と思ひ寄り、夫より御小納戸にて佐野亀五郎とかやいふ士ありける故、主殿頭、此仁お呼入て、種々馳走饗応して、右の系図の事聞れければ、其儀に候はヾ、新御番佐野善左衛門方、本家なれば、あの方にこそ有之段被申ける、然らば貴殿御取合にて、系図少々の間、借用申度とたのまれける故、先々善左衛門〈江〉咄見んとて退散いたされたり、然るに明日早く亀五郎、善左衛門かたへ来りて、委細の事お咄頼ければ、善左衛門被申けるは、佐野家に大切なれば、其儀は御用捨被下かしと被申けるぞ猶也、亀五郎被申けるは、当時出頭の主殿頭なれば、是お借し給はり、御役の種、御立身の為なるべし、さすれば御先祖〈江〉之孝養にも相成べしと、さまざま進め申されければ、其理に服して、然れば大切之品なれど、誠に御言葉に随ひ御借し可申なり、御覧之上は、早々御返し被下候様、にと頼て、右の系図お渡されける、亀五郎にも甚悦び、急ぎ直に神田橋へ参りける、殊之外主殿頭殿悦び被申ける事限りなく、亀五郎へは、色々の音物お送ける、先我先祖は其むかし藤原姓なり、末にして佐野一家之もの未絶之砌、先祖上州にありて母方之田代お名乗り、此時に源の姓に改る事といふ、子なき事お悲み、田沼大明神〈江〉深く立願して、一人の子お設けたりしゆえ、則明神の一字お願ひ、田代の田の字お付て、田沼氏と号す、其子田沼七郎源の直行と雲て、足利八代之武将義政公に仕へたり、其後二十六代にして田沼竜助、其子市左衛門忰良助、〈○意次〉既に侍従に任ぜられ、主殿頭になると、吁詐八百お受て家の系図お作るは、平賀源内といふ者の作なりと聞し、然るに善左衛門方に而者、亀五郎方〈江〉いろ〳〵返しくれ候様申遣けれども、一向其儀知り不申、取次致たる覚なしと言て、一向に構はず、時に善左衛門、無念止時なく、もしや役替等もありやせんかと、今日か明日かと待けれども、更に何の沙汰もなく月日お送りける、〈○下略〉
○按ずるに、此後善左衛門は、田沼氏の系お絶たんとして、意次の子意知お殿中に刺せり、