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別所長治記
大村合戦
弾正申けるは、我等此体にて敵に打合たりとも、当の敵お討事はさて置、敵の馬に被当倒犬死せんは一定也、いざや敵お謀り、当の敵お討取、冥途の土産にせんとて、五人の者ども芝居に坐し、刀お抜、手に手お取組、差違たる真似おし、皆俯に伏にけり、敵ども十四五騎、馬より飛で下り、我先に首お取んと走掛る、近々と寄て、傍に抜置たる大刀取、寝ながら払切に切ければ、敵五人何れも諸膝なぎ被落、一度に尻居に伏す、各かつはと起上て、仰天したる敵どもお四方へ追散し、心よしと高声に雲て、一度にどつと笑、敵の首お面々の膝の上に抱、腹切たり、名誉の討死也、いかなる者や名お知ばやと、母衣お掛て死たる武者あり、是おまくりたれば、村上源氏具平親王二十三代の孫(○○○○○○○○○○○○○○)、淡河弾正定範と書付る(○○○○○○○○○○)、扠は先日淡河の城にての手立、今の討死の次第、無双の勇士と各感じける、