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光台一覧

御摂家と申は、執柄家とも申、御家門とも申て、〈○中略〉往古は御一人一家にて有之候得ども、段々に御家分れ、近九二一となりたまひ、又近鷹と二家に分れ、都合〆近九二一鷹司と五軒にとくと分れたまふは、公家御衰微之砌、平時頼、後に最明寺と申せし人、御家門の権勢お弱まさん為に、斯く五軒に極められし御事なり、
頭註、後深草院建長四年、兼平摂政、此流鷹司家也、此時可為永々五流旨、時頼上表而被定処也、