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標註職原抄別記

氏長者
推古孝徳の御代の比より、冠位官職の事ども、やう〳〵盛になり、臣連二造の職お代々にせし道廃れて後、姓(かばね)はたヾ徒らに氏に属たるものとのみなりはてヽ、終に天武天皇の御代に至り、あまたの姓どもお混じて、たヾ八色に定給へり、〈○中略〉かく姓によりて仕奉る義の廃たるまヽに、姓はいたづらなるものになれヽども、おのづからまた一氏一氏お統るものはなくてえあらぬ勢ひなれば、天智天皇の御代に、諸氏の内にて、宗長たる者お氏上として、其一族お掌らしむること出来にけり、〈○註略〉天智紀三年春二月己卯丁亥、天皇命大皇弟、宣増換冠位階名、及氏上民部家部等事雲々、〈○中略〉とある其証なり、この後引続き、その御さたどもありしとおもはれて、〈○中略〉天武の御代までも、なほ氏上の事、かくの如く次々にさたありけり、〈○註略〉さるは氏族の事は、いみじく重きゆえありて、允恭天皇の御代に、探湯(くがだち)おさへ行はせたまへる如く、紛乱やすき事どもおほかれば、氏上なくては、族中の庶事治めがたきに依てなりけり、