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泰平年表
東照宮
慶長八年二月十二日、伏見城に於て、将軍宣下、征夷大将軍淳和奨学両院別当源氏長者牛車お許され、随身兵仗お賜る、〈当代年録に、(中略)征夷大将軍は、頼朝以来、武将の任に候へば、室町代々御補任にて、他家より望申事不協、(中略)信長秀吉天下お取給へども、本朝の掟にまかせ、終に任ぜず、然るに室町公方(足利義昭)浪人の後、御子もなし、家康公大和にて、御扶助御介抱被成候、八け年以前、御果の時分、室町代々の重宝お家康公へ御譲被成、何卒此号、御相続被成下候様頼申候よし遺言なされ、御果の後、室町代々の例に任せ、贈官並諡号霊陽院殿と申て、衣笠の等持寺にて御追善あり、箇様に何も御望の号不協して、自然と内府公に渡し、無左右御補任、目出度御事申計なし、〉