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標註職原抄別記

氏長者
氏長者の始は氏上なれば、勅にて補せらるヽ事、いはむも更なるお、藤氏これお私物として、摂関なれば、宣旨に及ばず氏長者なりと定しお、中古の人、故実にうとかりしゆえに、皆しかならむと思へりしにや、〈○註略〉此抄に頼長公、非摂関、為長者宣下之例、初於此とか、せたまへるは、准后〈○源親房〉さばかりの博識なるお、それすら猶あやまり給へりけむとおもはれたり、〈愚管抄に宇治左府の事おいへる件に、頬おつよく射抜れにければ、馬より落にけり、此日やがて藤氏長者は如元といふ宣下ありて、法性寺殿にかへし附られにけり、上の御さたにて、かくなる事の始なりとあるは、此抄とはたがへり、此抄にては、百練抄に、久安七年(七年六年誤)九月廿六日、入道大相国取藤原長者印、並朱器大盤渡左大臣、此間喧嘩多端とあり、入道大相国は忠実公なり、左大臣は頼長公なり、此時法性寺忠通公、関白になり給へるゆえに、氏長者印も、ともに彼方にわたるべきお、忠実公より、次郎の左大臣頼長公お長者に補せらるべきよし公家に請て、宣下給りて、長者にしたまへるやうに思て書せ給へるが如し、されども百練抄に、取藤原長者印雲々とある取字お以ておもふに、長者は一家の私物なりとして、忠通の関白になりたまへる時、やがて其印おば、忠実のかたへ奪取て、頼長に渡したまへるさまなり、もとより天気忠通公に属したれば、たとへ忠実いかやうにこしらへ奏したまふとも、宣下あるべきにあらねば、頼長の長者になりたまへるは、宣下にはあらざりけむ事明らかなり、さて此左大臣殺され給ひて、長者の印、忠通公へかへる時に、藤原長者如元といふ宣下ありつらむ事、理にかなへれば、愚管抄のかた正しかるべし、准后ふとおぼえたがへて、本文には記し給へるなるべし、〉