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戴恩記

ある時秀吉公、いつも御参内の時、御装束めしかへらる、御中やど、施薬院にて曰、〈○中略〉おもはずに貴き身には成ぬれども、父なければ氏姓なし、草かりの成のぼりたる身なれば、いにしへのかまこの大臣の御なおよすがにて、藤原氏おやのぞみヽんと申されしかば、いとやすき事なりとて、近衛殿〈○前久〉より其御はからひ有ける時、玖山公〈○九条稙道〉聞召、五摂家ともに、いづれも今甲乙はなけれども、氏の長者とせらるヽ事は、当家にきはまりたる事なり(○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○)、近衛殿の御まヽにはなるべからずと、とがめさせ給ふに、物知の申さるヽ事なれば、子細あるべしと徳善院僧正玄以に仰付られて、大徳寺にして、両家の御相論お聞し召したまふ、
○按ずるに、本書に氏の長者とせらるヽ事は、当家にきはまりたる事なり、といへるは誤りなり、