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公事根源
四月
梅宮祭 同日〈○上酉〉
この社は、仁明天皇の御母、橘太后〈○嘉智子〉の祖神なり、承知年中に、初めて御門より祭お奉らる、橘氏の祖神なるべし、是定といひて、摂家の人の管領する社にて侍るにや、そも〳〵この是定の一の人の家に伝りし事は、橘氏の公卿絶えて後、五月五日の叙位に、氏の爵の事お行ふべき人なきによりて、完和の頃、中関白道隆、大納言と令申侍りし時、宣旨おかうぶり給ひて、氏の爵の事お申し行ひ侍りしなり、中関白、粟田関白、〈○通兼〉御堂関白、〈○道長、以上三人並藤原氏、〉この三人の母は、摂津守藤原中正といひし人の女なり、かの中正の室は、中納言橘澄清卿の女なり、中関白には外祖母なり、かやうの由緒侍るによりて、是定は藤原の家に相伝し侍るとかや、