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続古事談
一王道后宮
後三条院は、春宮にて、廿五年までおはしまして、心しづかに御学問ありて、和漢の才智おきはめさせ給ふのみにあらず、天下の政およく〳〵きヽおかせ給て、御即位の後、さまざまの善政おおこなはれけるなかに、諸国の重任の功と雲事、長く停止せられける時、興福寺の南円堂おつくれりけるに、国の重任お関白大二条殿、〈○藤原教通〉まげて申させ給けるに、事かたくして、たび〳〵になりければ、主上逆鱗におよびて仰られて雲く、関白摂政のおもくおそろしき事は、帝の外祖などなるこそあれ、我はなにとおもはんぞとて、御ひげおいからかして、事の外に御むづかりありければ、殿、座おたちていでさせ給ふとて、大声おはなちてのたまはく、藤氏の上達部、みなまかりたて、春日大明神の御威は、けふうせはてぬるぞといひかけて、いで給ければ、氏の公卿、まことにも一人ものこらず、みな座おたちて、殿の御ともにいでければ、事がらおびたヾしくぞありける、主上これおきこしめして、関白殿、並に藤氏の諸卿おめしかへして、南円堂の成功おゆるされにけり、殿の御威も君の御心ばへもあらはれて、時にとりて、いみじき事にてなむありける、