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保元物語

左府御最後附大相国御歎事
十三日〈○保元元年七月〉に、木津へ入給ふ、〈○藤原頼長〉御心地も次第に弱りて、今は限りに見へ給へば、柞森の辺より図書允俊成お以て、興福寺の禅定院に御坐す、入道殿〈○頼長父忠実〉に、此由申たりければ、即迎へ参らせ度は思召けれ共、余の御心うさにや有けん、何とか入道おも見んと可思、我も見へん共不思やつれ俊成よ、思ても見よ、氏長者(○○○)たる程の者の、兵杖の前に懸る事や有、左様に不運の者に対面せん事よしなし、音にも不聞、増て目にも見ざらん方に行と雲べしと、〈○下略〉