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倭訓栞
菜前編二十五/比
ひようもん 家紋の起りは、いつの時なるおしらず、蜻蛉日記に、菊の放すえてといふ事見えたれど、今の定紋などの義に非ず、中世武門盛なりしより、幕の紋にて家々お分てば、是より始りて家々の定紋となれる成べし、又秘文あり、又通文といふ事、花にては唐花、葉にては杏葉(いてふ)などおいふ、むだ紋たヾ紋ともいへり、誰が著しても苦しからぬ也といへり、されば西土の花号にあたれり、其幕の紋は、推古紀に、旗に絵くと見えたるが濫觴なるべき、又宗五記といへる書に、公方様御服と申は織物にて、色御紋不定、白き綾又は綾つむぎお、地お色々に染て、御紋紫などに付ると雲々、是は東山義政公時代の事也、御紋不定とあるお見れば、其比は衣服は、家紋に限らず、何のの紋にても付し也といへり、