[p.0509][p.0510]
宮川日記

廿一日丁亥、〈○延享三年二月、中略、〉外宮御衣のきれ、所望せしかば、甚いたし難き事ながら、無拠よしにて、五品、十神主よりめぐまる、〈○中略〉みどり
黄糸
総地紺
倭文なり
黄赤糸
みどり
黄糸
一予〈○多田義俊〉謹で按ずるに、倭文はわが国の物なり、神宮の御装束、古例のまヽ菊の文なり、朝家菊の御文お用給ふは、是に拠るべし、余は倭文にあらず、〈重て按ずるに、桐の文は呉服より取、菊は倭文よりとり給ふ成べし、〉壺井翁〈○義知〉装束文飾推談に、寛平の帝の菊の御詩あれば、是より御文と成たるならんとの説は甚いぶかし、