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類聚名物考
武芸四
竹に雀の紋
或説に雲、政宗福島城へ旗お進る処に、柳川の城兵、政宗の本陣こうりと雲所へ押寄、雑兵お追払ひ、西村仙右衛門、及び三間勘解由左衛門、政宗の竹に雀の紋付たる幕お奪取て大に手柄とす、蓋彼文は、当時伊達上杉両家共に用て、其故お尋るに、元来上杉家の定紋なりしお、伊達時宗の弟、同兵部大輔実元の母、上杉貞実の女也、しかるに貞実令嗣なき故、孫の伊達実元歳十六、気賀純直なるに依て、これお養子とし、越後の国お譲らんと、諱字及び宇佐美長光の大刀、竹に雀の紋の幕お贈りて是お契約す、援において天正の比かとよ、伊達実元越後へ行んと支度すといへども、祖翁植宗父子内乱出来る故に、実元猶予して越後へ行ず、終に信夫郡に寓居して、実元一旦の約お思ひ、竹に雀の幕お用ひ、子孫に伝へしとぞ、其後兄晴宗、かの紋の幕お所望しければ、実元これお晴宗に与へし故、今政宗に至り、永く竹に雀の紋お用るといへり、或雲、景勝の養父輝虎入道謙信は、長尾六郎為景の子なりといへども、関東の管領上杉憲政の令子となりぬ、かの上杉家は勧修寺の流にて、世々竹に雀の紋お用ゆ、又伊達家も中納言山蔭卿の後裔にて、これも家の紋竹に雀也、しかるお今度の軍に、伊達家の幕お奪取て、永く其紋お上杉家に用るといふは非なり、