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明良洪範

天正十三年二月九日、由良信濃守が嫡男成繁は、秀吉公の臣也、嫡孫新六郎高久は、中納言秀次の小姓卜成て、江州にて五千石給はる、秀吉公他界の後、関東へ下り、初て出仕せしに、由良家の紋三葉葵なる故、登城の諸士、神君〈○徳川家康〉の御公達と思ひ、皆下馬して通りしと也、此事風説専らなりければ、之に依て由良家に縁有る近藤石見守石川等、不敬のよしお意見して、水葵に改めける、